窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「官僚たちの夏」第八話「総理の死」(TBS)

第二部スタート。

出演

感想

ここに描かれている通りだとするなら、玉木はかなり頭が悪いと思うが、本当にそうなのか。伸びる産業があれば代わって斜陽になる産業がある。斜陽産業に従事していた人の方向転換や救済策は考える必要があるが、斜陽産業自体には投資できない。投資しても淘汰が先延ばしになるだけで、返ってくることがないから。これはわかる。が、これから伸びていくであろうが、現段階で力足らずの産業は全く事情が違う。ドラマでいえばコンピュータ産業がそうだ。これを一緒くたに考えていたとするならずいぶん問題である。

池内総理に、日本の産業が国際競争力をつけてほしいとは思っていたが、なんでも技術を外国から導入すれば済むとは思っていない、それをやれば国内産業は育たず、国が潰れる……と言われて瞠目する場面があるが、至極当然な話である。そんなこともわからなかったのだろうか。

もうひとつ、情に流されず大局的な見地から理知的な判断を行なうのが次官の役目、だから現場には足を運ばない……という場面がある。「情に流されず大局的な見地から理知的な判断を行なう」のは通産省次官に限らず、組織のトップはだれでもそうすべきであろう。だがもうひとつトップには、そこで下した決定を浸透させ、徹底させる、という役目もある。妥当な判断ができなければ困るが、判断がよくても周囲が聞いてくれなければ絵に描いた餅になる。自分のいうことに説得力を持たせるためにも現場との風通しをよくしておくことは重要なのだ。

いよいよ次回は風越が次官に返り咲き。須藤恵作が総理に。出世のために風越派から玉木派に乗り換えた牧は、どうなるだろう?

原作の世界観を揺るがす実写劇場版「めぞん一刻」(DVD)

公開が1986年だから、23年も前になる。主演の石原真理子は22歳。当時は清純派の女優として一世を風靡していた頃ですなあ……。

題名めぞん一刻
制作多賀英典
監督澤井信一郎
原作高橋留美子
出演石原真理子音無響子)、石黒賢五代裕作)、藤田弓子(一の瀬花枝)、中垣克麻(一の瀬賢太郎)、伊武雅刀(四谷)、宮崎美子(六本木朱美)、河合美智子(七尾こずえ)、田中邦衛(男)、萬田久子(女)、大滝秀治(和尚)、有島一郎音無響子の義父)、深見博(茶々丸のマスター)、他
制作日本(1986年10月10日公開)

感想

伊武雅刀の四谷さんは当たり役だ。これは誰が見てもそうだろう。「教えてあげません」という初期の高橋留美子特有のギャグも、見事なタイミングで演じていた。それだけで見る価値がある。

それ以外の役者は原作のイメージからかけ離れていると思うが、人それぞれ好みもあると思うので言っても仕方がない。特に一の瀬さんは漫画ならではのキャラで、実写でイメージを合わせるのは本来無理だから、藤田弓子はよくやっていた。

それより、この脚本はなんなんだろう。

漫画の「めぞん一刻」は、基本はボーイ・ミーツ・ガールの物語である。ずっと追いかけっことすれ違いを続け、最後に二人が結ばれてカタルシスを得るのである。最初のいくつかのエピソードはまあいいとして、あれでいきなり響子さんが一の瀬さん、四谷さん、朱美に囲まれて「ヤらせもしないのに男を縛り付けてるんじゃないわよ」などとシメられるのは納得いかない。思い当たるフシがなくて管理人さんも戸惑ったのではないか。そしていきなり五代くんの部屋を訪れ、服を脱いで布団にもぐり込むのもわからんシチュエーションだ。

そして結局二人は結ばれない。これは第一のルールに違反する。「めぞん一刻」の世界観をゆるがす話である。

めぞん一刻」はまた五代くんの成長譚でもある。響子と比べると、初期は、一応社会人で、管理人の仕事もしていて、それなりにしっかりしている響子に比べて、単に浪人生であるというだけでなく、いい加減で甘ったれで、まだまだ半人前である。が、途中どんどん成長し、いい男になった。響子は天然で、わがままで、猜疑心と独占欲が強い。ま、ヤな女である。これは物語の初期から最後まで変わらない。結ばれる時は、五代くんの方がずっといい男なのである。短い映画で成長を描くのは無理としても、もちょっと五代君をいい男に描いてほしかった。

もうひとつ、「めぞん一刻」の世界観をゆるがす話があった。それは管理人さんが身につけているエプロンである。僕は、piyopiyoエプロンを身につけていない人を管理人さんとは認めない。劇中、響子はエプロンをつけないか、たまにつけてもそれはpiyopiyoエプロンではなかった。

めぞん一刻 [DVD]

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