題名 | ハッシュパピー -バスタブ島の少女-(原題:Beasts of the Southern Wild) |
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監督 | ベン・ザイトリン |
出演 | クヮヴェンジャネ・ウォレス(ハッシュパピー)、ドワイト・ヘンリー(ウィンク、ハッシュパピーの父)、他 |
公式サイト | 映画『ハッシュパピー バスタブ島の少女』公式サイト |
制作 | USA(2013年4月20日日本公開) |
劇場 | 新宿ピカデリー |
粗筋
ルイジアナ州の南の湿地帯に、世間から隔絶された「バスタブ」と呼ばれる小さなコミュニティがあった。そこに住む6歳の少女ハッシュパピーは、飲んだくれの父親や仲間たちと活気にあふれる毎日を送っていた。彼女は、自然は繊細な秩序で守られていると信じていた。
ある日、100年に一度の大嵐がバスタブを襲う。すべてが水浸しになった。そんな時にウィンクが重い病にかかっていることを知る。ハッシュパピーは、自然界の秩序が決壊し、有史以前の獰猛な野獣が目覚め、襲いにくると恐れた。そして母親がいると信じる場所へ海を泳いで向かおうとするが……
雑感
理解の難しい作品だ。「困難にあっても強く生きろ」というのがメッセージということなのだろうか。
バスタブ島の生活は、裕福ではないが目を背けたくなるほど貧しいというわけでもない。バスタブ島の自然は、目を奪われるほど美しいというわけでもない(美しい映像云々という映画評をあちこちで見たが、海の水は濁っており、少なくともルイジアナの美しさを魅せる作品、というわけでもなさそうだ)。どこまでが事実で、どこからが少女の幻想なのかもよくわからず。後半で、オーロックスの大群が襲ってくるシーンは、現実ではないよね? ハッシュパピーの心理的事実だよね?
バスタブ島を捨てて母親に会いに行くところも、泳いでいくというのは何の暗示か? 船に拾われたあと、海辺のナイトクラブに連れて行かれるが、そこで会った娼婦とおぼしき女性は母親? そのあとバスタブに戻ることにしたのは、母親に会えたから? 会うのは不可能だと悟ったから? この一連の出来事も事実なのか想像の出来事なのか。
盛り上がりに欠ける、淡々とした作品だが、さほど長い作品ではなくちょうどいいかも。アメリカ映画だがいわゆるハリウッド的な作品とは一線を画している。
結局、なににつけても毅然とした態度のハッシュパピー(を演じるクヮヴェンジャネ・ウォレス)に魅了された1時間半であった。
Academy Award
第85回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞、脚色賞にノミネート。残念ながら受賞はならなかった。なお、主演女優賞は史上最年少のノミネーションとなる。しかし受賞がならなかったとはいえ、主要4部門にノミネートされた作品の割に、扱いが地味だ。上映館も少ないし。