第02週「別れの沖縄そば」(月)
放送日
- 2022年4月18日
概要
東京から来た青柳史彦、和彦の父子と交流が深まったある日。比嘉家の大黒柱、父・賢三がキビ畑で倒れた。急報を受けて暢子たち四兄妹も学校から駆けつける。懸命に、家族に何かを伝えようとする賢三。優子も必死に見守るが……。働き手を失って、厳しい運命に晒される家族の、新しい生活が始まる。(NHKオンデマンドの解説より)
賢三はニライカナイに行った。
残された借金は500ドル。
優子は朝早く家を出て工事現場の賄いの仕事をすることに。子どもたちも早起きして豚の世話、畑仕事、薪拾い、洗濯、料理を分担。が、長続きせず。10日も経つと、賢秀が仕事をさぼり始める。疲れて帰って来た母に、賢秀は運動靴を、良子は体操服をねだる。夕食のおかずの貧しさに端を発し、兄弟喧嘩が始まる……
雑感
父親が死んだ途端に家が傾くのは今でもよくあることだろうが、1964年のことであれば、女性が男性並みの収入を得るのは非常に難しく、幼い子供を4人も抱えて比嘉家は大変だっただろうと思われる。それにしてもあっという間に兄弟がすさんでいくのは見ていてつらい。
葬式後、喪服を着たまま優子に借金の返済計画を迫る賢吉や組合長もいけ好かないが、優子も今ひとつしっかりしない。突然死で、気持ちの整理もついていないということもあろうが、まずは子どもたちに、父が生きていた時と同じようにはいかないのだということをこんこんと話さなければいけない。とはいえ賢秀も良子も、中学三年生と二年生、言われなくてもわかってもよい年だ。
良子の着ている体操服は先輩のお下がりで、全体的に古いのではあろうが、胸の名札がほつれて来たから新しいのがほしい、というのがよくわからない。縫えばいいだけの話だと思うのだが……。昔はそうやってつぎはぎを当てながら着続けたのだと思うが……
ニライカナイに行った父に届くよう、海岸で子供たちが叫ぶシーンはちょっとじんときたけど。
その他
- 畑で倒れた賢三を誰がどうやって家まで運んだのか?
- 賢三、間もなく死ぬのにあんなに長々としゃべるなんて元気過ぎ。しゃべらなければもう少し生きられたのでは?
- そもそも賢三の死因は? もともと心臓を患っていた? 過労というほど働きづめにも見えなかったが……