窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

田渕久美子は下手なのだ/15「猿の正体」

出演

雑感

家康の次男だった於義丸は秀吉の養子になり、羽柴秀康になっていた。羽柴秀長は秀吉の実弟。秀次は甥で、ドラマでは羽柴を名乗っているが、まだ養子にはなっていない(のちに養子となる)。秀康は父・家康には愛されなかったが、優秀な武将だった。が、あまり賢そうには見えない。このドラマでは徳川二代目将軍秀忠をどう描くつもりなのだろう。

今回は、秀吉に対する恨みを募らせた江が、寝首をかくにも相手を知らなければと、秀吉の人物をさぐろうとする。そんなことをして何の役に立つのかさっぱり理解できないけど、悪口でも聞ければ溜飲が下がると考えたのだろうか。が、江の思惑に反し、秀吉の評判は実に良いのだった……

これから先、茶々は秀吉の側室になるのだし、秀吉を嫌っている三姉妹の気持ちを秀吉ラブに(強引に)変えていかなければならない。そのための最初のステップとして作られた話だろう。

この脚本家の、時代劇を作る上でのポリシーとは、恐らく次のようなものではないか。

  1. その時代の設定だけを借り、物事の見方、考え方はあくまで現代人とする(例、戦略結婚はダメ!)
  2. その時その時の社会や政治の動きよりも人間関係や心情を描くことが重要(例、戦国武将を主人公にしても戦は描かない)
  3. 史実にはとらわれずに自由に話を作る(例、明智光秀織田信長を心底敬いお慕い申し上げていた)

こうしたやり方に対して批判はあるが、それが作家のポリシーであれば、それはそれで認めよう。好き嫌いは別問題。そういう考え方の作家がいてもいい。

結局、田渕久美子は下手なんだと思う。自分のやりたい話を作るだけの技量がないのだ。ナントカのひとつ覚えのような、初と饅頭や、江と信長のイリュージョンだけでなく、今回の、「最初は仇と思った秀吉も、付き合ってみるといい人」という話も、信長の時と全く同じパターン。芸域があまりにも狭い。それに、今回は基本的にコメディをやりたかったのだろうし、出演している役者は一流ばかりなのだから、きっちりコントをやったらさぞ面白いことになっただろうが、実際には全然面白くなかったのは脚本のせいだろう。

下手な人に文句を言っても始まらない。二度と大河で起用されないことを祈る。

それにしても、江がキムスメかどうかにあれほどこだわるなんて、下手なだけではなく品もない。まあ下手だからこそ下ネタにに走るんだろうな。