今年36本目、複数回観ているものがあるため、作品としては34作品目。年間34作品は新記録。過去最高が33作品(2011年)だが、今年は5ヵ月でそれを越えてしまった。
題名 | おとなのけんか(原題:Carnage) |
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原作 | ヤスミナ・レザ「大人はかく戦えり」 |
監督 | ロマン・ポランスキー |
出演 | ジョディ・フォスター(ペネロピ・ロングストリート、イーサンの母)、ジョン・C・ライリー(マイケル・ロングストリート、イーサンの父)、ケイト・ウィンスレット(ナンシー・カウワン、ザッカリーの母)、クリストフ・ヴァルツ(アラン・カウワン、ザッカリーの父) |
公式サイト | おとなのけんか - オフィシャルサイト |
制作 | フランス・ドイツ・ポーランド合作(2012年2月28日公開) |
劇場 | 多摩センター:ワーナー・マイカル・シネマズ |
粗筋
ザッカリー少年は同級生のイーサンを棒で殴り、イーサンは歯を2本折る重傷を負う。謝罪のためにザッカリーの両親はイーサンの家を訪ね、双方の両親4人で話し合いが行なわれる。当初は友好的に話をしようと双方努力するが、些細なことからだんだんと中傷合戦に、怒鳴り合いにと発展し、話題は子供の喧嘩から大きく外れ、時には双方の妻のヒステリックな態度に夫同士が結託するなどの場面も見られ……
感想
どういう感想を持つのが正しいのだろう。
普通の映画は、たったひとことでもセリフのある役を数えると、非常に多くの役者が登場するのだが、本作は顔を見せるのは4人だけ。電話越しに話す相手が4人ほどいるが、それを含めても8人だけ。冒頭、1分にも満たないシーンで、数人の子供がもみあって、そのうち二人が手を出し合い、一人がもう一人を殴りつけるシーンがある。エンドロールではザッカリーとイーサンは名前がクレジットされていたから、これも配役のうちかも知れないが、あとはエキストラだろう。エンドロールでは公園で多くの老若男女が過ごす風景が映されるが、これもエキストラ。それ以外は約80分間、アパートの一室という閉鎖空間で4人の男女が話をするという、ただそれだけの物語である。
登場人物も、場面も変わらないのだから、役者の演技力だけが命というたいへん恐ろしい、しかし芝居らしい芝居である。ロケもなければCG処理もなく、登場人物も少ないのだから、さぞ製作費は安くついただろう。いや、アカデミー俳優を3人も揃えたので、出演料がかかったか。
冷静に話し合いを進めるつもりがどんどんねじれていくさまは、確かにコメディとしてよくできている。4人は、知的レベルの高い人のようだが、それぞれ問題も抱えている。マイケルは、飼っていたハムスターが邪魔になったからと街角に棄てて平気でいるような無責任人物であり、アランは話し合いの最中に携帯に仕事の用件が頻繁にかかってきて、そのたびに話し合いが中断するが、そのような事態を何とも思わない失礼極まる人物であり、ペネロピは社会活動に関わっているのか、自分の考えが最も正しいと信じて疑わないような鼻もちならない人物であり、当初は一番まともかと思われたナンシーも、気分が悪くなってもトイレにもいかず、吐瀉物を部屋中にまき散らして平気でいる(平気ではないのだろうが、口を抑えたりといった態度が見られない)人物。
と、まあ、4人が4人とも、決して付き合いたくない、関わりを持ちたくない人物であり、わざとそのように描いているのであろうが、感情移入ができなかった。
とにかく、喧嘩の原因すら4人とも掴んでおらず、和やかに話し合いたいという気持ちからだろうが、関係のない世間話を延々としていて肝心の話題になかなか触れない。交渉事としては最も下手なパターンである。そういう点は見ていてイライラし通しだった。
まあ、約80分と尺は短いし、テンポよく進むのであっという間ではあるのだが。
日本語タイトル
原題のCarnageは「大虐殺」の意味だが、あまりにも大げさな言葉で内容にそぐわないように思う。どういう意味で使っているのだろうか。邦題は珍しくすぐれた題がついた。
配役
ジョディ・フォスターは「羊たちの沈黙」「フライトプラン」でおなじみ。ケイト・ウィンスレットは「タイタニック」以来。あとの二人は知らない。
リンク
- 『おとなのけんか』 (2011) / フランス・ドイツ・ポーランド(Nice One!! @goo、2012/03/01)