粗筋
薩摩藩の高崎左太郎が秋月悌次郎に接近。孝明天皇大和御幸は長州の陰謀でありそのまま倒幕に向かう話が天皇の意に反して決められている、と。そこで会津・薩摩が協力して長州および長州派の公家を京から追い出すことに。1863年(文久3年)8月18日の深夜、会津藩は2000の精鋭で御所に入ると長州を追い出す勅命を受け、御所の警備に当たる。日が昇って事態に気づいた長州藩があわてて御所に駆け付けた時はすべてがあとの祭りだった……
会津では照姫が薙刀の稽古を見学。その場には蟄居を命じられた頼母の妻・千恵もいたのだが。
「国元の私たちが、心をひとつにすることが、殿様はじめ都の方々をどれほど力づけることでしょう。会津を思い、殿を思い、おのが家を思う気持ちが同じならば、たとえ諍いがあっても、それは一時のこと、みな会津のおなごなのですから。優しく、勇ましくありましょうぞ」。
その照姫が祐筆を採用することに。八重が選ばれるのではないかと八重は半ば考え、両親はそれをたしなめるどころか八重以上にそわそわ。が実際に選ばれたのは時尾だった。がっくりくる八重に、川崎尚之助は告げる。
「私は少しほっとしています。八重さんがお城に上がってしまったら、ここで一緒に銃を作ってくれる人がいなくなる。新式機銃を作るには、八重さんの助けがいります。私ひとりの力ではどうにもなりません。八重さんの代わりはいない。これはあなたにしか出来ぬ仕事です」
感想
大河で幕末は数多く描かれてきたが、八・一八の政変をちゃんと描いたのは初めて? これで会津は長州から深いふかーい(100年経っても消えない)恨みを買うことになるのだけど、会津の側から描いたものがこうして世に出てきた意義は大きい。WBC第一ラウンドがあったので、視聴率はよくなかったと思うが。
尚之助ついに八重に愛の告白!? 大蔵から「あなたは会津そのものだから」と言われてもちんぷんかんぷんだったが、尚さんから「鉄砲の改良にはあなたが必要」と言われて喜ぶ八重。といっても、自分の存在を認められた喜びで、尚之助を異性として意識したわけではないと思う。やっぱりこの人、鉄砲以外は何もわからない人だ。照姫が殿のことをどう思っているかなんて、想像の外だろう。やはり祐筆に選ばれなくて良かった。