窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

時代劇で許されることと許されないこと

「鎌倉殿の13人」の第1話で政子が頼朝に「政子です」と名乗ったことを批判する向きがあるという。「政子」の名は後世につけられたもので、本人が名乗るのはおかしい、というわけだ。

それはそうかも知れないが、登場人物を区別し、視聴者にわかりやすくするために、誰もが知っている名で呼ばれるのは、作劇上許されることだと思う。

そんなことより、北条宗時が「平家を滅ぼそうぜ」と言ったり、北条時政が「平将門だって最後は首チョンパじゃねえか」と言ったりすることの方がはるかにおかしい。耐え難いほど。しかしこうした言い方は、三谷幸喜独特の、わかりやすく視聴者にアピールするためのものだと、称賛されている。

時代劇は、その時代に現代劇を作ったらどうなるか、を再現するものではない。あくまでも現代の人が、当時を想像して構築するものである。言葉遣いだって、本当にその時代の言葉を再現したら(それが可能かどうかは別にして)私たちには恐らく理解できまい。お歯黒も、多くの人は生理的に受け入れがたいだろうからやらない。朝ドラ「カムカム・エヴリバディ」では、今昭和30年代だが、登場人物の誰も煙草を吸わない。明らかに不自然だが、これは現代の倫理・医学基準で、敢えてそうしているのだろう。それは、そうするべきだと思う。

何は現代風にした方がよくて、何はその時代に寄っていないとおかしいのか、僕には明確に定義することは困難だ。しかし「ぜ」はおかしい。「首チョンパ」もおかしい。そういうドラマがあってもいいが、大河枠でやることではない。これだけは書き残しておく。



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