窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

久々に映画らしい映画「チェンジリング」

久しぶりに劇場へ行って堪能した。

題名チェンジリング(原題:CHANGELING)
監督クリント・イーストウッド
音楽クリント・イーストウッド
出演アンジェリーナ・ジョリー(クリスティン・コリンズ)、ジョン・マルコヴィッチ(グスタヴ・ブリーグレブ牧師)、ジェフリー・ドノヴァン(J・J・ジョーンズ警部:クリスティンを精神病院に叩き込む)、ジェイソン・バトラー・ハーナー(ゴードン・ノースコット:連続殺人犯)、エイミー・ライアン(キャロル・デクスター:病院で知り合った女性)、マイケル・ケリー(スター・ヤバラ刑事)、ガトリン・グリフィス(ウォルター・コリンズ)、他
公式サイト『チェンジリング』 大ヒット上映中!
Changeling - Official Site(英語)
制作USA(2009年2月10日公開)

約80年前の実話をもとにしている。主人公の幼い息子が行方不明になり、数ヵ月後に警察から「見つかった」と連絡があって会ってみたが、それは息子ではなかった。背も低いし、割礼を受けているし、学校の担任の先生の名前を知らず、歯医者は歯形が違うという。ところがなぜか警察は「息子だ」と言い張り、挙句はアンジェリーナを有無をいわさず精神病院送りにして、「警察にミスはなかった」という書類にサインしない限り一生病院から出られないという……

髪型やメイクが古臭いせいもあるのかも知れないが、主人公は本当にアンジェリーナ? と思ったほど、イメージが違っていた。役者として新境地を開いたといえるだろう。

140分以上とかなり長い映画だが、退屈することもなく、堪能できた。久しぶりに映画らしい映画を見た気がした。ただし、警察が権力をたてにとって従わない者を陥れていくさまは、当時はそういうことも珍しくなかったのかも知れないが、非常に恐ろしく、気分が悪くなる話だった(今もそういう不安が払拭されたわけではない、と思えばなおさらだ)。

また、ゴードン・ノースコットが死刑を執行される場面も執拗に映していたが、執行そのもののシーンを撮る必要があったかは疑問。それも、目をそむけたくなる部分であった。

ただし、一番納得できないのは……

いくつかの証拠から、警察が連れてきた少年はウォルター(クリスティンの息子)ではないのでは、と思われたのに、警察はガンとしてそれを認めなかった。それを、ブリーグレブ牧師をはじめ、何人かがクリスティンの味方になり、彼女の主張(少年はウォルターではない)を信じ、支援したから、彼女の名誉は回復されたわけだ。

それなのに、本物のウォルターはノースコットが殺したらしい、ということになると、死体の身元確認もなされていないうちから、牧師や弁護士など、これまで彼女の味方だった人がこぞって、ウォルターは殺されたということを認めるよう彼女に迫るのはどういうわけだ? 確固たる証拠もないのに決めつけ、それを押し付けるのでは、結局、警察と何も変わらないことになる。

DNA判定どころか、血液型による判定も確立していなかった当時は、身元を調べるのはかなり難しく、間違いも多かったに違いない。それなのに、薄弱な根拠で出した結論に固執する気持ちがわからない。もっとも、それを間違いだとする証拠も乏しいから、思い込んだ方が勝ちということなのだろうか……

最後まで疑問だったのは、警察は、初めからこの少年がウォルターでないことを知っていながら、適当にお茶を濁して済ませようとしていたのか、彼らはこの子がウォルターだと信じていたのか、ということだ。最後に、少年の口から、警察からウォルターと名乗るように言われたことが明かされ、どうやら前者らしいと思われるのだが、そんなことをしても、身内には本人でないことがすぐにわかるだろうし、何よりその子が口を割ってしまえば終わりだ。

クリスティンは、少年が実の子ではないことから、一応面倒は見るものの、あまり親切には扱わない。母子家庭で決して裕福ではないであろうから、他人の子の面倒を見るのが経済的にも、精神的にもつらいのはわかるが、もっと優しく接し、望むならいつまでここにいてもいいし、本当に子供になってもいいということを示しつつ、以前の思い出話などをして、矛盾点を引き出す方向に誘導した方が良かった。幼い子供のこと、そういつまでも嘘を吐き通してはいられまい。

もっとも、あのロス市警のことだから、たとえその子が白状したとしても、「子供が錯乱している」とかなんとかいって認めなかっただろうか?

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