窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

NHK大河第44回「襄の遺言」

この回でジョーが死ぬのかと思ったが死ななかった。「死ぬ死ぬ詐欺」だ。いや冗談で言っているのではない。タイトルをキャッチーにしたいのはわかるが、内容と乖離していたら結局人は離れていくだけなのに。これも視聴率対策とやらなのか。そんなものを気にするからどんどんおかしくなっていくのだ。

出演

粗筋

ジョーは同志社英学校を大学にするための資金集めに欧州とアメリカへ出かけた。不在の間、同志社はジョーが作った、ジョーのものだとする八重と、同志社は財団のものであり、ジョーは雇われ者に過ぎないとする外国人宣教師との関係が悪化。佐久が舎監を辞めることでとりあえず矛先を収めたが……

照姫が病でもう先が長くないとか。それを聞いた容保は照を訪ね、「わが屋敷へ来てください。残りの人生を、ともに」と誘うが照姫は「そのお言葉だけで十分」と答える。そしてほどなく逝去。

広沢は会津から青木という若者を連れてきた。広く学問を学ばせたいという。そして、山本家に居候し、同志社へ通うことになった……

雑感

同志社女学校で、生徒が物理の実験を行ないたいが、設備がない。英学校にはある。だから英学校に見学に行きたいと申請を出したが却下された。勝手に行ったら謹慎処分にされた。文句を言う八重に外国人宣教師は「ミスター・ニイジマは財団に雇われたに過ぎない」と言い放って喧嘩になるのだが……

なぜ、同志社は誰のものか? という論争にしてしまうのだ。生徒は授業をさぼったとか不純異性交遊をしたとかいうわけではない。勉強がしたくて姉妹校に行ったのだ。なぜ女学校の教師はそれを許可せず、謹慎処分をくらわせたのか、納得の行く説明を求めるべきだったし、それが筋が通っていなければ、そこを批判するべきではないのか。同志社が誰のものかなんてくだらない話である(少なくとも生徒にとっては)。

また、仮に同志社はジョーのものだと認められたとして、自動的に八重が運営に口をはさむことが認められるわけではない。宣教師の横暴が許されないのであれば、八重の過干渉もやっぱり問題だ。ドラマとしては、八重が絡んでいかないと話にならないのはわかるが。

あこさんがつぶやいていた。

八重の桜は、イメージ的に、大『河』っていうより『池』って感じ。歴史を流れで見られない。池を飛び飛びしながら見てる感じ。それぞれの池は魅力的なんだけどね……。
https://twitter.com/mini_aco/status/394452959452344320

ごもっともな指摘だと思う。照姫と殿の最後(?)の逢瀬のシーンは、それなりに練られたセリフであり、演技であったが、あまりにも唐突。なんの前振りもなくこのシーンになるから、これもひとつの「池」ということか。

広沢さんお久しぶり。そして問題の青年をあなたが連れてくるわけですね。