窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「麒麟がくる」第十七回「長良川の対決」

あらすじ

十兵衛は、光安に合流し道三に味方すべく戦場に赴く。

長良川を挟んで道三軍と高政軍が対峙する。戦は圧倒的な戦力を有する高政が有利に。敗色濃厚と感じた道三は、一騎で敵陣に駆け寄り、高政に一騎打ちを挑む。高政に「父の名は?」と問うと高政は「土岐頼芸様じゃ」と答える「おまえはその口で美濃を掠め取ったのか」と言い斬りかかるが、高政の部下に槍で突かれ、絶命。

高政は、道三が自分の軍門に下れば命を取る気はなかったが、これは道三の作戦で、これにより高政は終生「親殺し」の汚名を着せられてしまうことになる。

高政は十兵衛に、改めて自分に付け、自分の政治を助けろ、そうすれば今回道三方に付いたことは忘れてやると言うが、十兵衛は、高政には組しないと答えてしまう。急ぎ明智城へ取って返すが、すぐに高政軍の追手がやってくる。光安は、自分は城に残る、お前は左馬助を連れてどこまでも逃げろという。

伊呂波大夫は帰蝶に、道三を連れ出せなかったことを詫びる。帰蝶は、済まぬがもう一度美濃へ行ってくれと頼む。褒美は好きなだけ取らせるからと。

今日の光安&十兵衛

光安「城を失うのはつらい。亡き兄上に申し開きができぬ。されど、明智家が滅びるのは座視できぬ。なんとしてもそれは避けねばならぬ。これはそなたの父上の声と思って聞け。いったん城を離れ、逃げよ。逃げて逃げて生き延び、明智家の主として再び城を持つ身になってもらいたい。そなたならそれがやれる。許されるなら、この左馬助も、そこに加えてもらいたい」

今日の伝吾&牧

牧「私はここに残りまする。ここは亡き夫・光綱様が終生大事にされた父祖伝来の血。今捨てろと言われても捨てるわけにはいきませぬ」
伝吾「大方様、お気持ちは私も村の者も皆同じでござりまする。大事な田や畑や山や川や……。この先10年20年、皆で守って行こうと思っておりまする。いつの日か大方様がまたお戻りになられた時、何も変わらず、この里は、村はあります。それをまた見ていただくために、今日は旅に出てくださりませ。どうか……」

雑感

  • 今年の大河ドラマ斎藤道三」の最終回。ネットでは神回の呼び声も高かったが、自分はあまり感心しなかった。
  • 合戦となるといつもいろいろ不満を感じる。今年はまだましな方だが、それにしてももう少しなんとかならぬものかと思う。
    • なぜ道三や十兵衛は鉄砲を使わないのか。いったい何のためにこれまで練習してきたのか。鉄砲隊30名を組織するという話はどうなったのか。
    • 道三と高政の一騎討ちはあり得ないが、ドラマとしてはありだろう。しかし、一騎討なら一騎討をすれなよい。延々とセリフを言い合うのは現実離れし過ぎている。
  • 十兵衛が道三方に付く決意をしたのはよいとして、高政の勝ちで戦が終わったら覚悟を決めるべきだ。せっかく高政が改めて自分の下に付けと言ってくれたのに、逆らうとは何事か。その瞬間に、自分だけでなく、牧や煕子、使用人たち、あるいは伝吾らの命を失ったのだ。
  • 光安も同じ。明智家が滅びるのはなんとしても避けなければ、と今頃いうのなら、道三につかず高政につけば良かった。高政が大勢の兵を集めたのはそういう理由だろう。
  • 落ち延びることに決めたのならさっさと落ち延びればよい。高政軍が目の前に迫っているのに別れの言葉を名残惜しく延々と続けている場合ではないと思うのだが。
  • 牧の気持ちもわかる。この時代、単なる旅行でも命懸けだろうが、女を大勢引き連れて、持てる荷物も限られる中、行く当てのない逃亡の旅である。高政軍に見つかれば終わり、見つからなくても、こんな行程は高齢者には何日も耐えられないのではないか。旅の途中で死ぬくらいなら、家で死んだ方が良いと僕でも考えそうだ。


映画ランキング

(2020/5/17 記)