雑感
映画でよくわからなかったところの確認のため。珠が鈴木保奈美というのはあとで知って驚いたが、なるほど確かに鈴木保奈美だ。
甲斐姫が男勝りで武芸にすぐれているのは、冒頭でエピソードが語られ、また合戦が始まってからは女だてらに戦支度をして城内をうろうろしてはいるが、合戦には参加していない。この合戦で甲斐姫が大活躍したとの伝説もあるので、少しは戦に貢献するシーンがあってもよかったのでは、と前回は少々物足りない気持ちで見ていたのだが、改めて見るととても重要な役割を担っている。
水攻めが行なわれ、城下の百姓が城にたどり着いたが、いくら「そのままでいいから城に上がれ」と言っても、泥だらけの身体を気にして上がれずにいた時、長親が「姫、こちらへ」と言って外に出させ、泥を拾って姫の顔にべちゃりとつける。一瞬、何が起きたのか戸惑うが、意図を察した姫は、今度は長親に泥をなすりつける。そのあと「わし一人が泥だらけで城に上がるとまた丹波守に叱られるでの〜」と言い、それでようやく領民が土足で城へ上がることになる。
長親一人が泥だらけになるより、姫が一緒に泥にまみれたからこそ皆の気持ちがほぐれたのだろう。ここでの姫の役目は重要である。その上、この時の姫と長親は息がぴったり合っていた。姫が長親に惚れているのは周知の事実。長親がどう思っていたのかは明かされていないが、この時の二人の様子を見る限りはとても仲良さそうだった。実際、当主の娘と城代家老だから釣り合いも問題なし。何事もなければこのまま結ばれていたのだろう。
だから、秀吉の甲斐姫を側室に差し出せという要求はとても理不尽で非人道的なものに感じられる。しかし、兵糧のことや、ダメにされた田畑の後始末や、殺された領民のことなどでは、もう一回戦をすると脅してまでも三成に食い下がった長親だが、甲斐姫のことはあっさり受け入れた。甲斐姫が悔しがる気持ちもわかるが、姫一人のことと、何百人、何千人の配下の者や領民たちの生活を考えると、受け入れざるを得ないと判断したのだろう。
この時代、たとえ当主の娘であっても、結婚相手に関して本人の意思などほぼ無視されるのが当たり前だったということもあろう。今から思えば理不尽な時代である。そういう、戦後処理の汚さ、厭らしさも触れている点が素晴らしい。
過去記事
- 名画座・三軒茶屋シネマの最後「のぼうの城」(2014/07/19)