窓の向こうに

月に数回映画館に通う程度の映画ファンです。自分が見た映画やドラマの感想を書いています。

「どうする家康」(25)

題名

  • 「どうする家康」第25話「はるかに遠い夢」

放送日

  • 2023年7月2日

概要

武田勝頼の手で暴かれた、瀬名と信康の計画。それはやがて信長の知るところとなる。2人の始末をつけなければ織田と戦になる。それでも家康は信長の目をあざむき、妻子を逃がそうと決意。一方、瀬名は五徳に、姑は悪女だと訴える手紙を信長に宛てて書かせ、全ての責任を負おうとする。岡崎城を出た信康もまた、逃げ延びることを良しとせず――。(公式サイトより)

今日の五徳と信康

「これから先、どこへ行こうと、岡崎殿と呼ばれとうございます。お許しくださいますか?」
「もちろんじゃ」

雑感

朝ドラでもちょうど初回から登場していた大黒柱のタキ婆さんが死んだばかりだが、ちょうど半分の25回で、本作も、初回から登場し、時に主人公にまさる存在感を示していた瀬名が退場となった。うまくできている。

瀬名は五徳に、自分の悪口を書いた手紙を信長に送れ、そうしないと五徳までが仲間だと見られる、と指図するが、五徳は、私も仲間です、母上の考えに賛同し、ついて参りました、と答える。それでは二人の子はどうなる、そなたにはその子らを育てる責任があろう、と一喝したのは、実によい声だった。声がきれいだなぁと感心したのは、最近では永野芽郁に次ぐ。

五徳と信康の別れのシーンも、信康の最期のシーンもよかった。

強いて言えば、瀬名の最期のシーンは長過ぎたと思う。わざわざ家康が佐鳴湖までやってきて助け出そうとするのもやり過ぎだと思ったし、瀬名が短刀で首を斬るシーンまでやらなくてもよかったと思う。しかし、周囲にいた譜代の家臣たちが、泣き叫ぶばかりで動けずにいるところを、苦しまずに済むようにととどめを刺したのは、信康は服部半蔵、瀬名は女大鼠だったというのもよかった。特に半蔵は、間抜けなところもあるが、こういう時は頼りになるのだ。大鼠が瀬名のとどめを刺した後、土下座をしたのもよかった。ずっと岡崎城に潜んで瀬名のしてきたことを聞いていた大鼠は、瀬名のことを敬愛するようになっていたのではあるまいか。

荒唐無稽だ、お花畑過ぎる、ここまで史実を捻じ曲げていいものか、などの声が相変わらず多くある。お花畑どころか、戦国大名は積極的に同盟を結ぼうとしていたはずだ、ということは先週書いた。史実も捻じ曲げているとは思わない。

そもそも、今川氏政は愚鈍ではない、瀬名は悪女ではない、ということは「おんな城主直虎」で描かれた。武田勝頼が非凡の将であることは「真田丸」で描かれた。本作はこうした過去の作品を踏まえた上で発展させているのであり、「初めて」ではない。まるで古沢良太が一人で勝手に思いついたかのような批判は的外れだ。

結局、大河ドラマはドラマなのだから、一定の範囲で史実を逸脱するのもありだし、人物像の形成も、人間関係の解釈も自由であってよい、ということは、多くの人がわかっているのだ。その上で、歴史ドラマファンや大河ファン一人一人には、それぞれ「これだけは認められないこと」という線があるのだろう。それを踏み越えられると、途端に拒否反応を示してしまう、ということではないだろうか。

自分的には、戦国時代の同盟というのは、短期間に破棄されたり、裏切られたりすることの連続だが、織田・徳川の同盟は、一度も破棄されることなく長く続いた、それは単なる軍事同盟ではなく、信長と家康は、互いに尊敬し信頼し合っていたから……だと思っているので、これを「そうじゃない」と言われると腹が立つ。本作は、その点、怪しいが……


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