のだめ映画を再び「のだめカンタービレ最終楽章 前編」

題名のだめカンタービレ最終楽章 前編(2回目)
劇場ワーナー・マイカル・シネマ新百合ヶ丘

のだめ映画(前編)もそろそろ終わりらしく、マイカル系のシネコンでは一日一回上映のところが多いようだ。ぜひ劇場でもう一度観たいと思っていたが、ちょうど仕事が早く終わったのと、帰り道の映画館の上映時間が一致したため、観ることにした。僕が同じ映画を劇場で見るのは非常に珍しい。最近では「交渉人 THE MOVIE」以来……って、もう3回連続だなあ。

その映画館では26日で終わりだそうだ。間もなく上映が終わる映画にしては、観客はよく入っていた。後編の封切は4月17日らしい。せめてあと一ヵ月くらい続けてくれれば、もう一回くらい見に行くのだが。

とにかく、冒頭のベト7(ベートーベン交響曲7番)がいい。CDで持っていて、何度も聴いたが、やはり指揮者が千秋で、あのロゴマークが出て、となると、テレビ編の最終回に一気にワープしてしまう。それで一気にのだめの世界に浸ることになる。

原作を全く知らないから、比較はしないし、できない。映画だけを見てもちゃんと辻褄は合っているし、特に破綻しているところはないと思う。原作もいいのだろうが、脚本もよくできている。

前半は孫Ruiとの三角関係が問題になる。三角関係というほどではないが、久しぶりに再会してキス(挨拶の)をする孫Ruiに嫉妬したのだめが千秋に飛びついて咬みつく場面は、テンションの高い(変態の)のだめ。それを投げ飛ばされて、振り返って千秋を見るのだめは、ぼーっとして、目に力がない。この上野樹里の演技は見事というほかはない。変態のだめはもちろんだが、あのぼーっとした表情のできる女優が、いったい何人いるだろうか?

テレビ編で、上野は「のだめ」というキャラクターの、上野なりの表現方法を作り上げた。テレビSP編では、自分が過去に作ったのだめに縛られ、「のだめといえばコレ」的なイメージから抜け出せなくなっているような気がした。SP編は少々くどく、退屈に感じられたひとつの大きな要因はそれだったと思っている。映画ではそれを抜け、さらに高い境地に達したといえるのではないか。連ドラ、SP2話、そして映画と、ここまで進化したかと思う。

変な髪型に変なTシャツを着たテオだが、マルレオケがここまで落ちぶれながらも、何とか続いているのは、テオがいるからだよな。彼は本当にいい仕事をしている。千秋だってコンマスだって、テオがいなければ復活劇も成し遂げられないだろう。

のだめがマルレオケの練習を見に行った時、髪を頭の上で結んでいた。柔ちゃんヘアと名付けていた人がいたが、なんで突然あんな髪型にしたのだろう。最初は、千秋に気付かれないように変えたのかと思ったが、次に練習を見に行った時はいつもの髪型だったし、次に柔ちゃんヘアにしたのは千秋の前だったから、それが理由ではなさそうだ。

前回観た時はあまり意識していなかったが、シュトレーゼマンがのだめチャンのピアノを聞いてみたい、美しい音楽が聞けるうちに、と呟いて、エリーゼが顔色を変える場面がある。その前の、千秋のピアノをちゃんと聞いていなかったシーンと合わせると、病気か何かで聴力が落ちているのか?

のだめが苦労してやっと弾けるようになったバッハを弾きこなす千秋を見て落ち込むのはわかるが、なぜいきなりコンクールなのだろう。コンセルヴァトワールに通っていて、そこで優秀な成績を収めることが第一ではないのかなあ。別に対外的に評価され、有名になる必要はなく、千秋に認めてもらえばいいのだから。

演出の問題かも知れないが、基本的にのだめは練習量が少な過ぎる気がする。進級試験の前とか、コンクールの前とかしかまともに練習をしていないように見える。意欲的に取り組むのはその時期としても、音大生だったら、毎日数時間の指の練習は欠かさないのではないか。知らんけど。

ついでに、演奏中ののだめは身体を振り過ぎではないか。これでいい音が出るとは思えないし、音大の試験でいい点がつくとは思えないが。

それにしても、コンクールへの出場は認めない、千秋とは距離を置いた方がいい、というオクレール先生の言うことも、それはそれで納得できないものがある。のだめはもっと納得できないだろう。どういう意図か説明がほしいところだ。しかし千秋も同じ結論に達したようで……

ああ、後篇が待ち遠しい。